E-Mail
大宮通り商工振興会事務局
ホーム
歳時記
インフォメーション
MAP
お店情報
平城宮跡
リンク集
ホーム>平城宮跡>平城宮 

平城宮

 平城京・朱雀大路の北端には朱雀門がそびえていました。朱雀門をくぐると天皇の住居であり、政治や国家的儀式をおこなう平城宮です。平城宮の周囲には大垣がめぐり、朱雀門をはじめ12の門がありました。

 平城宮の内部にはいくつかの区画があります。政治・儀式の場である大極殿・朝堂院、天皇の住まいである内裏、役所の日常的業務をおこなう曹司、宴会をおこなう庭園などです。そのなかでも政治・儀式の場は、都が一時離れた時期を境にして、奈良時代の前半と後半で大きな変化がありました。奈良時代前半に、朱雀門の真北にあった大極殿(通称、第一次大極殿)が、奈良時代後半になると東側の区画で新たに建てられたのです(通称、第二次大極殿)。これに対して、内裏は、奈良時代を通じて同じ場所にありました。

 これらの事実は、40年以上におよぶ発掘調査によってわかってきたことです。このうち、ほぼ正方形と考えられてきた平城宮が、じつは東部に張り出し部分をもつことがわかったことや、その隅に奈良時代の庭園を発見したことなどは、発掘調査による大きな成果のひとつといえるでしょう。


奈良時代前半の平城宮


奈文研資料参照


奈良時代後半の平城宮


奈文研資料参照

東院

 平城宮は、他の日本古代都城の宮殿地区には例のない東の張り出し部を持ちます。この張り出し部の南半は、奈良時代をつうじて「東宮」呼ばれていたようですが、孝謙・称徳天皇の時代には、特に「東院」と呼ばれていました。称徳天皇はこの地に「東院玉殿」を建て、宴会や儀式を催しました。光仁天皇の「楊梅宮」はもとより、聖武天皇の「南苑(南樹苑)」もこの場所を中心に営まれていたと考えら
れています。

奈良の都"平城京” について "平城宮”の正門"朱雀門" について